地震に被災された石川県、富山県、福井県、新潟県の皆様、そしてそのご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます。皆様の安全と被災地の1日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
元旦のお昼ごろ、私達は妻の実家のある富山県高岡市へ向かいました。それから実家にたどり着くまでにどれだけ奇跡的に助けられたかを備忘録として書いておきます。
私達は日頃から「脾胃」を休めるために、1年以上朝食を食べていません。特にお餅は消化の弱い人には「湿熱」としてたまり、いろいろな病の種となってしまうことがあります。しかし、元旦ぐらいはと思い母の作ってくれたお雑煮を二個だけ頂きました。本当はお餅4個は食べたいのですが、身体のためと我慢しました。でも、今日一日で合計5個食べる事になるとは知る由もありませんでした。近くの小池神社に初詣を済ませ、浜松駅へ向かいました。昼食を駅構内で生姜焼き定食を食べ、高岡市へ向かいました。
【予定】東海道新幹線 浜松⇒米原 特急しらさぎ 米原⇒金沢 あいの風とやま鉄道 金沢⇒高岡
金沢駅には16時前に着き、早めの夕食を摂るつもりでした。北陸と言えばお魚が美味しいので、回転寿司はこちらの比ではありません。まずは東口にある金沢フォーラス(ショッピングモール)7階にあるもりもり寿司へ向かいました。元旦では当たり前ですが、レストラン街には大勢の人がいました。半分諦めムードで寿司屋を見ると確か「本日受付終了」と手書きしてありました。これが良かったかもしれません、すぐに諦めて第二候補の西口金沢回転寿司輝らりへ踵を返しました。モールの7階から降りて駅を抜け、西口に出ました。途中には多くの人とすれ違いましたが、西口にはバスロータリーがあり、ほとんど人がいませんでした。輝らりもすぐに見つかり、お店の前には10人ぐらいの人が予約を済ませて待っていましたので、真美さんも受付を済ませました。金沢としては本当に暖かい正月で、私も完全にお休みモード、「これからが本当の冬休みだな」と思ったその直後でした。携帯の警報音がなり、「大きな地震がきます」と複数回耳にしました。
私はとりあえず天を見て、高いビルの状況を見ました。いつも嫌な音だと思っていた建物のきしむ音を生で聞き、映画のようにビルや屋根が横揺れしていました。すぐ終わるかと思ったらなかなか静まらないので真美さんを呼んで頑丈そうな屋根のあるバスロータリーへ移動し、静まるのを待ちました。それでも止まず、屋根のきしんむ音が酷くなる一方だったので、空の見えるロータリーの真ん中の植木の所まで逃げて様子を見ました。一旦、止まったので辺りを見回すと「やまほたるの庭」と名の付く中庭にはいくつも地割れが確認されました。※写真の右上
地割れを見て頭に浮かんだのが、「もしかしてこの下は地下通路か…」でした。このまま陥没したらひとたまりもありません。ゆっくり駅の方へ移動してから思案していると、係の男性が「ここは危険です、駅構内の方が安全です!」と注意してくれました。上から物が落ちる事もあるでしょうが、本当に陥没する恐れがあったのかもしれません。
この間に駅でお土産物を買っていた方たちが一斉に西口広場に出てきて身をかがめていました。「JRが止まったら実家に行けなくなる」と思い、金沢に住んでいた真美さんに高岡行きのバスはないかと聞くと「ある」というので、中央にある案内板を見ました。しかし、チケット売り場が分からない。見回してもひとが多くなり私は焦るばかりでした。
これ以上、時間が経つと本当に動けなくなると思い、「ここから高岡まで車でどのぐらい?」と聞くと、真美さんから「高速で40分ぐらい」と返ってきました。「それならタクシーで行こう!」と伝え、タクシー乗り場へ向かいました。その途中も多くの人が西口に頭を低くして固まっていたので、その中を縫って乗り場へ向かいました。抜けた先に「タクシーのりば」の文字があり、なんとまだ誰も並んでいません。パニック状態になるとただただ立ち尽くしてしまうのだろうと思います。私はのりばのロータリーの先に1台の黄色い派手なタクシーを見つけましたが、運転手が誰かと話しています。「あと何が考えられるか、今のうちにしておくことはないか」色々と考えました。気づいたら目の前にさっきの黄色いタクシーが停車しました。すかさず「お願いします」というと、「地震の大きさが震度7で、今は動けない」と言われてしまいました。私はここを抜ける事ばかり考えていてまさかこの地震が震度7もあるとは知りませんでした。(震度7は誤報で金沢は5強)東日本大震災と同じでは津波の危険もあります。ホテルに予約することを考え、その場でどこのホテルにするか、本当にホテルで良いか話し合っていると、「お客さんはどこまで?」とタクシー運転手に聞かれました。行き先を伝えると「高岡?!」と驚愕のリアクションでした。それでも70歳前後の運転手は「また地震が発生したら停止することになるけどそれでも良ければどうぞ」と言ってくれました。あの時は本当にありがたかったです。
金沢駅を発車するときには、もう一台同じ会社のタクシーが来ていましたが、タクシー待ちの被災者は並んでいます。それでも8人ほどだったでしょうか、きっと帰ることまで考えられず怯えていた人たちが沢山いたのだと思います。
とりあえずタクシーで走り出した私達でしたが、駅付近は交通量が多くなっています。運転手も「いつもより車が多い」と話していました。私は高速道路が通行可能かネットで確認すると予想通り「通行止め」でした。仕方なく国道8号線へ舵をとりますが、夕方だからかかなり渋滞しています。
金沢⇒高岡間は50km弱あり、静岡で例えると当店から豊川稲荷まで、東なら静岡空港ぐらいの距離です。
まずは渋滞しないことを祈って東へと向かいます。金沢は大きな都市なので人口も多いでしょうが、富山方向であれば段々と交通量が減っていくはずです。しかし、走り続けていると真っ暗な闇の先に、車のテールランプが一列に並んでいます。近づくと全く動いていない様子。今度こそ、立ち往生かと思っていると、私達の車はスイスイと走ります。よく見れば渋滞ではなく、左端に縦列で駐車している車の列でした。おそらく倶利伽羅峠に差し掛かったところです。運転手が気になってしょうがなかったのか、タクシーを止めて真美さんに訳を聞いてくれといいます。大声を出して中の一台に聞くと「避難してきた」と答えてくれました。ナンバーを見ればすべて金沢ナンバーの車ばかり。想像でしかありませんが、地震が起きてから「津波だ!にげろ!」としかテレビで言っていないので、峠の高い所まで津波除けで避難されたのだと思います。ただあまり見た事のない光景でしたがそれならば腑に落ちます。
次に心配だったのが長いトンネル、入ってしばらく出口がなかったので内心ヒヤヒヤしていたことを覚えています。後日、義理の父にそれを言うと、「おそらくまだ新しい方のトンネル」と教えられました。トンネルが崩れたら一瞬で生き埋めですから想像するととても恐ろしかったです。
予想よりも大幅に遅れて富山県入りしましたが、その頃には帰りのガソリンが気になり、スタンドが開いていたら給油する話をしていました。しかし、震災の教訓なのでしょう、スタンドには車の列が並んでいました。ここでタクシーの車種が効いてきます。なんとプリウスでした。暖房を使っているからガソリンは使用するでしょうが、ガソリン車よりもはるかに燃費がよいので、結局はスタンドに寄りませんでした。
もうひとつの関門が、三井アウトレット小矢部店でした。丁度、帰宅する車で8号線は動きません。ガソリンを心配していた時だったのですが、携帯を使って右から迂回してそのまま高岡市の自宅まで着きました。
金沢駅からタクシーに乗って2時間、一般道で合計2万円で帰れました。途中の事ですが、田んぼが広がる所にポツンと列車の灯りが見えました。もちろん動いていません。もしも、金沢駅から下車せずに高岡へ向かっていたなら私達もあの止まった列車の中にいたでしょう。翌日のニュースで北陸新幹線が止まり、車中泊となった女性が「止まってから10時間後の午前3時に動き出した」と話していました。これを考慮すれば2万円ならとても安いと思います。
タクシーの運転手にしっかりお礼を言って見送りました。私はひと言「奇跡だなぁ」と独り言をいっていました。
家の入り口には割れた大きなガラスが置いてあり、中に入れば家財が散乱していました。あまりに酷かったため、画像は載せていません。
一時間ほど作業をしていると、近所の女性が心配して様子をうかがいに来ました。この現状を見て、「晩ご飯をうちに食べにきなよ、お雑煮しかないけど」と明るく言ってくれました。私と真美さんはありがたく頂きに行きました。とても温かいお家でビールまで頂きました。遠州地方のお雑煮は鰹節や醤油が入っているので、茶色い汁ですが、富山では透き通っていてゴボウや蒲鉾などが入っていました。しっかり出汁が利いていてお餅を3つも頂いてしまいました。(これで合計5個)
その後の作業はみんなが心身ともに疲れ切っていたため中止し、明るくなってからすることになりました。私も猛烈に疲れていたためグッスリ眠れるのかと思いきや、ほぼ眠れませんでした。余震は本当につらいですね、時間構わずやってきます。それも結構大きめのが。初日は立て続けに余震があったのでなかなか寝つけず、寝たと思ったら余震で起こされ、おまけに滅茶苦茶冷え込みました。朝にはボアのついた厚手のパーカーをフードまでかぶって寝ていました。この寒さだけはなかなか慣れないですね。
翌日の2日は、朝からしっかりご飯を食べ、丸1日片づけに追われました。親戚の方々が朝から手伝いに来てくれて、半日で粗方片づきました。人が増えると効率が良くなりますね。私は昨年に腰椎椎間板ヘルニアをやったので、この腰がもつか心配でしたが、気にしながらの作業は意外と平気でした。自分のペースで作業ができたことが良かったのかもしれません。その夜にはお正月用に用意してくれた海の幸で、いつもより多くお酒を頂き、疲れを癒すことができました。
ただ、眠りにつくことはたやすいのですが、やはり3回ほど余震で目が覚めました。これが結構神経を疲れさせます。「また大きい地震が来るのでは…」と警戒心がとれないからです。東日本大震災の時に、ボランティアのあとに友人の経営する旅館に泊まらせてもらったのですが、大き目の余震が何度もあったことを思い出します。友人は「もう慣れたよ」と話していましたが、夜は辛かっただろうなと今になって気がつきました。大地震ももちろん大変ですが、余震は心身を長期的に疲弊させます。「心」に絶対的に悪い事なので、持参した救心感応丸気をあるだけ飲んで、真美さんにも服用を促しました。
今年の運気論に「土運大過」(甲 辰)とあり、「土」が強くなる年回りですが、マグマと置き換えれば、地震や火山噴火が多くなります。そして「土」は湿気を意味するらしく、大雨や洪水などを意味します。
この運気論を救心製薬の勉強会として聞いたのが11/27です。ご興味のあるお客様にはお伝えしていましたが、まさま自分自身が元旦にこのような体験をするとは露ほども思いませんでした。
人生一寸先は何が起こるか分かりません。後悔のないようにしたいですね。